2011年 10月 01日

明日の予定

明日はわからへん、と、ほんとにいつも思っています。昔から私は先の予定を詰めるのが苦手です。というか、あんまり予定が埋まると窮屈な気持ちになるのです。予定は未定で、明日は良い意味でわからへん、明日はいつも明るいと思っているのが、私の平常です。

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 震災からこっち、言葉にしても行動にしても、当たり前のことが少しずつ持つ意味を変えたように思います。それは世の中の意志なのか、決意なのか「がんばろう」という言葉は耳にも目にも特に入ってきました。天邪鬼なせいなのか、余りに氾濫する「がんばろう」にとても不安を感じるばかりでした。通知表の一番悪い成績は1と呼んでいたけど、そういえば「がんばろう」で2は「もう少しがんばろう」だったな、なんて思い出すのです。

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 イラストレーターになってすぐの頃、たくさん仕事をいただいてから「もっとがんばれ」と、言われ続けていました。その通りにがんばればがんばると、また「もっとがんばれ」で、私っていったいどっち向いてがんばっているのかが分からなくなってきて、ある日、がんばって「がんばれない」と、言いました。すっきりしました。そこからひとつずつまたやり直して、「がんばれ」という言葉と仲直りした気がします。
 
 そして、このところ増えていたのは嫁という人として過ごす時間でした。結婚してからしばらくやたらと「もっとがんばらなあかん」と思ってた気がします。実際、初めてのことが多過ぎて混乱していただけだったのか、「嫁」だとか「がんばろう」とかそれを強く意識することがなくなるほどに、何者なのか、がんばれているのかは分からないけど、日々が板についていくように暮らせている気がします。

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 震災後のゴールデンウィーク、去年に引き続き、お寺ではFOILと一緒に「明日はわからへん。」展を催していました。今年は私も作品も出しましたが、だからといって、昨年に引き続き、みなさんを迎える側の人でもあるから、受付をしたり、ごはんを作ったり、あれこれ雑用担当でもありました。そんな風に過ごしていた展覧会半ばの夜、主人が産まれて間もない子猫をひらってきました。展覧会後半は子猫と猫ミルクを籠に入れ、いよいよ謎の人間として多忙にうろうろしていたのを思い出します。「キャー、かわいい。」と大人気だった子猫でしたが、「キャー。」となる余裕は私にはないままにひたすら昼夜面倒見て、人気の猫をマネージャーしている気分でした。
 
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 貰い手を探したりもしたものの、展覧会後にはなんだか分からないうちにすっかり家族になって、「ニコ」という名前でスクスクと育っています。明日死んでいたかもしれない野良猫の子だった「ニコ」はなぜか当たり前のように誰よりも長い時間をはや5ヶ月、私と過ごしています。私の事を親と思っているのか、仲間と思っているのか、そこはさっぱり分からないけど、今も椅子に一緒に座っています。

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 そして、私は現在妊娠5ヶ月です。ニコを飼ってしばらくで、妊娠が分かりました。病気じゃないからといつも通りに暮らしていたら、切迫流産でしばらく入院したりしまして、その後、あまりがんばらないことがわたしのがんばれることになっています。入院していた頃は大人になって以来、一番長い間天井を見て、一番よく寝ました。退院後は久しぶりに実家にしばらく帰ったり、お寺へ戻ってきた今もともかく周りに助けてもらっています。ぼちぼちにあれこれやってみては、こんなことで?と思う事が身体に無理だったようで、数回病院に駆けこんだりしました。なんて弱いのだろう私の身体・・・とびっくりです。それでもお腹の子はのんきに順調に育っています。自分の身体なのに自分で一番分かりません。頭では理解出来る人体の不思議が実際自分の中で起きるというのは結局全部1から体験しなければ理解出来ません。そして、お腹の子は私しか守れません。

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 なんだかんだで見えない不思議の基本は科学で学び育ったつもりです。世の中の不思議は尽きないけれど、次から次へと解明され続け、生命の神秘から宇宙の際限まで人の知恵が伸びていっていることを知っています。その知恵はいつまでたっても網の目で、フォークやお箸と同じように明日のある一部分はきちんと口に運べたって、明日を1滴残さずすくえるスプーンにはならないことも知っています。テレビや新聞が全部正しい訳じゃなくて、ネットに反乱する情報が全てという訳でもなく、氾濫する情報から自分なりの真実を見つけるしかないことも知っています。そんな私の絵はこのような世の中にほんとうに意味があるものなのかというと、ほとんど意味のないものだとも分かっています。

 まるでブームのような「がんばろう」が少しおさまって、お腹の子が安定期になったら、なんとなく書けなかったブログなどを再開しようと決めていました。今まで通りには欲張ってがんばれない中で私が一番出来る事は絵を描く事でした。いざ訪れた安定期はあくまでも一般的な区切りであり、私の身体は想像していたほど安定していませんし、思ったほど絵を描くことも進まなかったけど、ま、なんとかなる、なんとかする方に進むだけだと思っています。

 いつも前は向いているけど、前のめりにはなかなか生きられない、そんな私の「がんばろう」は私のものでしかなく、その方向は私が決めなければいけません。一人の人が一生に出来る事は限られていると同時に、いつも無限大だと思います。

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明日の予定はいつでもいっぱいで空っぽです。
今日より明日はもっと面白いはずなのです。
みんながんばらなくていいし、
みんながんばればいい。
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# by kunie_foil | 2011-10-01 17:46
2011年 03月 27日

月参り

 春分の日も過ぎたというのに、まだ雪が降ったり、変なお天気が続いています。今日は父の月参りの日ですから、たぶん実家には朝、お坊さんがお参りに来られてたんだろうなぁと、月参りに来られるという事は家がきれいに掃除されてるんだろなと、カレンダーを見上げました。


 5日前、春分の日は隣のお寺へ彼岸会のお手伝いに行っていました。彼岸は向こう岸であの世。昼と夜の長さが同じ春の分け目、春分の日を挟んだ7日間が彼岸の入りです。昨年はもう少し暖かかった気がします。牡丹の時期だからぼたもちなのに、牡丹はまだちっとも咲いていませんでした。春分の日からまた日が経ちつつありますが、昨日は雪が降ってると思ったら、日が差して、日が差したかと思ったら、曇って、せわしのない変な天気で、今日もまだ寒く、桜も今年は少し遅そうです。
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 お彼岸は東北関東大震災があってからちょうど10日のことでした。各家々の先祖代々に手を合わす方達でたくさんに賑わいました。わたしはまだお手伝いに入って2年目のお彼岸ですから、その昔の事はよくわかりませんが、いつもと少し違うようで、ほとんどいつもの春の彼岸会が執り行われたのだと思います。それでも檀家さんの方々も年を重ねられて、「もうだんだん足があかん。」と言われる方が多くて、秋の彼岸会はもっと椅子が必要だと思いました。

 2005年の9月11日、秋の入り口にアメリカ同時多発テロがあった時、ああもう私みたいな仕事はおしまいだなと思っていたけど、その後、ニュースだけはしばらく非日常だったけれど、あまりに普通の日常が訪れて、あまりに相変わらず締め切りが来たことに驚いたことをいつも思い出します。動揺しながらの日常の中でもっと出来る事があるのではということばかり考えていましたが、それでも絵を描く事があなたの出来る事ですとメールをいただき、そうかと目が覚めた感じを先日の東北間東大地震で思い出しました。

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 3月11日、14時46分、東北関東大震災発生時、京都で私が感じたのはなんだか揺れたような気がする、それとも私の目眩?というような程度でした。ネットで見てみたら、東北で大きな地震があったというから、慌ててテレビをつけ、ああ大変な事になったと実感しました。地震、津波、原発、あの日起こった事は少しずつ明らかになっているけれど、まだ分からない事、起き続けている事があまりにたくさんです。

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 3月12日、それは私の誕生日でした。そもそも、もうお誕生日がおめでたいものではない歳にはなりましたが、誕生日どころではない誕生日ははじめてでした。ニュースばっかり見ていました。「出かけようと思っていましたが、このような時ですから遠くなどには行かず過ごしましょう。」と、夕方、主人がわが家の緊急記者会見と称した発表がされまして、ともかく普段のように過ごしました。しかし、翌13日は「予約しているごはんやさんに行きますよ。」と主人が言い出し、「そんなのいらないよ。」と言いながら向かった先はなんと私の実家でした。クラッカーで迎えられ、食卓には懐かしい幼い頃から食べてきたおかずがたくさん並んでいて、これまでで一番複雑で、一番ありがたく感じたお誕生日でした。

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 関西での大きな地震といったら、1995年1月17日5時46分の阪神大震災でした。あまりの大きな地震に飛び起きて、よく知る神戸の風景の一変に驚きました。京都もけっこう揺れたものの、大きな被害はあまりありませんでした。東北関東大震災以来、震災にもあわれた経験のある神戸の大きな会社の方とこのあいだお会いしました。「あまりに関西は普通でびっくりしますね。」と私が言うと、「そうですね、阪神大震災とはまるきり逆なんですね。あの時、関東はこうだったのでしょうね。出来る事はせねばなりませんが、日常も維持せねばなりません。」と、あまりに元気に仰って、こういう人が関西の日常を支えているんだなと実感しました。

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 電池、懐中電灯に続きまして、東京に水を送るという人が、京都でもあちこち水を買い貯め、ここ数日で水はほとんど売り切れ状態です。そんな中、福島といってもそんなに被害も大きくなくて、原発から100km離れているところで暮らしている友人は、普通に水道水を使って暮らしている自分が不思議だと言っていました。唯一の被爆国である日本に暮らしながらあまりにも原子力の事に無知だった自分を恥ずかしく思うし、東京に暮らす人たちの不安も、福島に暮らす友人が続けている日常も、どちらも理解出来るように思います。  

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 亡くなった人の新しい誕生日、つまり、亡くなった人があの世に生まれた日、それが命日であり第二の誕生日になるのですという話を聞いたのは父が亡くなった時のことでした。毎月、父の命日ごとに月参りにお坊さんが月参りに来てくださり、それが続いていくごとに、確かにその日は父の事を必ず考える日になりました。長い間、闘病していた父が死ぬ日を想像したこと、夢に見た事は父が生きている間何度もあったけれど、本当に死ぬというのはあまりに呆気なく、あまりにあっという間でした。そして、本当に亡くなってからは、確かに形を変えて父は強く生きている気がします。月命日である今日も亡くなったということ、死ということでなく、漠然と父を思い出しました。

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 あの世があるのかどうか私には分かりません。死んだら極楽浄土に行きたいとも思っていません。でも、いつも見えないもの、分からないもの、この手の中にある未来にとびきり畏怖を感じるし、とびきり憧れるから、この手が間違えないように時々目をつむって手を合わせたいし、大事な人と手をつないでいたいし、できることをなんでもしながら、私は絵を描いていきたいと思います。

 今回の東北関東大震災で失われたたくさんの命に思いを馳せ、被災された人々の平穏な日常を願いながら、これからの誕生日を大事に迎えれるように、精一杯生きねばと思います。


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 被災者のみなさんがどうぞ一日でもはやく、新しい穏やかな日常を送れるようになりますように。
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# by kunie_foil | 2011-03-27 15:40
2011年 01月 30日

日めくり日めぐり

「その日その日が一年中の最善の日である(エマソン)」で、2011年の新しい日めくりがはじまりました。その後、10日くらいまでは日めくりはうっかり1日のままでした。
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 家族以外の組織に属す事なく社会に属してきました。イラストレーターという肩書きに縛られる事なく、イラストを入り口に出会えるいろんな事に取り組ませてもらってきました。ありがたい仕事についたもんだなといつも感じます。男と女、性別が違っても、年齢が違っても、人種が違っても、立場が違っても、まぁともかくみんな同じ人間だと、これまで出会った人たちと接してきました。それで何の問題もなく暮らせるのはアーティストだからだとか、フリーで仕事をしているからだと言われた事があるけれど、そんなことはないと主張してきました。

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 アーティストとは実際に何なのかという話は置いておいて、なんとなく芸術的な日々を送っている印象の人はなんとなくアーティストと呼ばれがちです。そういう意味で「アーティスト」呼ばれる事がよくあり、そんな時はこれまでいつも「いや、私は普通の人ですよ。」と言ってきた気がします。私は自分の事を自分で「アーティスト」と呼ぶ自信はこれまで沸いてきたことがなくて、いつだって「人」だという自信だけありました。

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 私は結婚するまで、社会人になる前も、社会人になってからも、その差は絵でお金をいただけるようになったという違い以外にはほとんど変わりのなく家族と暮らしていました。幼い頃から新聞広告が好きで隅々チェックする習慣がありました。買わなくてもここはこれが安いあれが安いと○をつけたり、裏が白いのを集めては絵を描いたりしていました。お絵描き人生においては白い紙よりも裏紙に描いた絵の方がもしかしたらまだ上回っているように思います。父が病気だったりする分、お金のいる事や旅行などは出来なかったけれど、日常から自分で作り出せる事に関しては自由で、なんでも作ることが楽しみでした。そして、家族みんなでなるべく笑える事が一番大事でした。そんな日々、与えられた自由を存分に謳歌して暮らしてきた結果、出会ったイラストレーターの仕事はその暮らし方を変えぬままに出来て、ますます暮らしが楽しめる仕事でした。

 そんな私は料理もけっこう好きで、全ての基本が暮らしにあるので昔から意味もなく「主婦」に向いていると思っていて、相手がいないだけでほぼ「主婦」ではないかとも思っていました。

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 しかし、いざ結婚して、「主婦」になり、「嫁」「奥さん」「寺庭婦人」なんかにも同時就任しましたが、私が向いていると思っていた「主婦」はただの私であって、ほんとうの「主婦」ではなかったことに気付きました。「主人」がいて「主婦」がいるのです。「主婦」はまず、「女」でなければならないのです。まず、「女」として役割を果たさねばならないところがあるのです。「嫁」「奥さん」「寺庭婦人」も、まずは「女」であるということだけが明確な肩書きなのです。

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 色気ムンムンではないものの、一応女性としてこれまで立派に人生を歩んできたつもりでした。結婚するとなった時、祝われる反面、「結婚はどうしても女の方の人生を変える」「結婚と仕事の両立は難しい」「嫁はどこまでいっても嫁」「勢いだから結婚なんてできる」「お寺なんて大変や」とか、そういえばいろんなことを周りの女性から言われたし、今も言われます。私だって母が長男の嫁としてしていた苦労を側で見ていたので、長男の嫁だけは絶対やめておこうと思っていたし、「結婚」なんて「お化け」の話をするくらい私にとって現実的ではない話でした。それでも、なぜか結婚したのはお寺の長男でした。

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 確かに勢いだけで準備もなく、お寺という男社会にやってきて、これまで全く違う暮らしを重ねてきた新しい家族に飛び込んで、今までに感じた事のない違和感は「嫁」だったり「奥さん」だったり、「女」というものに就職したような感覚です。その感覚を意識している時には私という人は脇に少し置いてけぼりになっています。時折、「男」と「女」を訳もなく意識してはそれに慣れなくて、少し目を回しています。そんな感覚はそれこそ普通の女性だったら、普通に社会に出ていたら、すでに常識的な感覚で、周りが口々に言っていたのはこのことなのかもしれません。世界は思ってたよりも「男」と「女」で回っていました。ああ、それが結婚ですよね。

 確かに私の「女」としての人生は結婚を機に変わったかもしれません。でも、誰かに変えられた訳ではありません。まず彼は彼で、私は私で、2人が一緒に選んだのが「結婚」だっただけで、長男とかお寺とかは彼の付属品、彼の世界であり、後付けのものでした。もっともっと面白く暮らしていける予感に従って進んできた結果選んだ結婚でした。

 今は時に壁とも感じる「女」ですが、どうやら生まれつき「女」だったというだけ、ただそれを私が意識することがなかっただけということです。結婚して急に世界が2倍に拡大しただけのことです。だから、慣れなくて時々目は回すけれど、それもまた楽しいと思えているし、ありがたいことに私は私です。そもそも私は何者になろうと思った事もなく、これからも何者になりたい訳ではない事にも気付きます。男に張り合うでもなく、女を主張するでもなく、私らしいが「女」らしいになる暮らし方みつけていけると思います。「女」として出会える面白いこと全部に出会ってみたいです。
 
 さて、今年も日々出会える全てを、私が私らしく生きられたら最高です。
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# by kunie_foil | 2011-01-30 23:28
2010年 10月 02日

秋風一夜百千年

  あんなに暑かった夏は長く居残った印象ではあったけど、9月の1ヶ月ですっかり秋の気候に変わりました。

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 書いておいて更新出来ずに置いていた9月の2回分の文章が消えていました。私のうっかりなんですけれども。

 私はイラストを仕上げる時にも最後はパソコンを使うのですが、そんな時にも保存を忘れがちで「できた」と思ったら、何か起きて消えてしまう事がよくあります。そんなことがよくあるからなのか、そこまで落ち込まずに、また一からやり直すのですが、同じものを思い出して作業してもだいたい違うものが出来上がるのです。

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 この間、慌てて料理をしていて、うっかり指を切りました。時々、小さく切る事はあったものの、あんなに思い切り良く切ったのははじめてでした。ちょっと舐めて、止血していたら止まるだろうと思ったけれど、血は止まらず床にポタポタ、小さな傷なのにこんなに血が出るものかと思いつつ、結局病院に連れて行ってもらって縫ってもらいました。切った時の痛さはほとんど覚えていませんでしたが、縫う時の麻酔が一番痛くてびっくりしました。その後、抜糸もしてもう3週間くらい経つというのに今もまだ元通りという訳にはいきません。切るのは一瞬の事でしたが、治るのには時間がかかるものです。

 数年前、実家を建て直しました。父を亡くして、女ばかりの家族で家の建て直しを計画してから出来上がるまではずいぶん時間がかかったようにも感じましたが、今考えるとあっという間だったようにも思います。特に、長年済んだ木造の長屋はあっという間に数日で更地になり、壊すというのは本当に一瞬の出来事でした。新しい家ができて、1年も住まないうちに、私は嫁ぎまして、結局、新しい家は時々帰る実家になり、嫁ぎ先の古いお寺が新しい家になっていて、夜中に夢に出てくる実家はだいたい建て直す前の古い家だったりしています。

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 消えてしまった文章の1つは「大事」と「大切」についてこの頃考えていたということについて書いていたものでした。

 「大事」と「大切」はほとんど同じように使われもしているけれど、「大事」のほうがより客観的に重要であることに使われ、「大切」の方が私的で、心情的に重んじて丁寧に扱いたいことに使われることもあるようです。
 「大事」は書いて字の如くに大きなこと、重大なこと、ともかく小さい事柄でないこと、時には大問題、一大事な心配な事態にも使います。だから、プラスのイメージもマイナスのイメージもある言葉です。「大事にしといた方がいい人」なんて言うと、ほんとうに大事な人とはまた違う大事な感じがしてきます。
 「大切」の方は「大きく切る」ではなくて、「大いに切迫している」というところから来ていて、つまりすごく身にせまるような大事さです。「大切な命」「大切な人」「大切な本」はそれぞれを「大事」に置き換えたものよりも思い入れと丁寧さを感じるし、かけがえのない特別感が伝わる気がします。よく似た言葉で「親切」や「懇切」があります。でも、「大切」は「大事」より私的な分だけ一方的でもある気がします。「大切」は「大事」よりもともと丁寧だからなのか「お大事に」とは言っても、「お大切に」とは言わないのです。

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 ちなみに「無事」は禅語で、何もないということではなくて、外に向かって求める心を持たず、何にも振り回されないありのままで健やかな状態のことをいうようです。さて、私は外に何を求めているわけでもないですが、いつも今が繋げる先に期待していて、いつも自分が一番よく分からなくて、一番自分に振り回されているのですから、どうにも無事という訳にはいきません。まぁだいたい無事ですけれど。

  私は昔から何かあるごとに自分の心に「今大事な事は?」と問う癖があります。答えは重要ではなくて、そう心に問うことで、身体と心がなんだかしっくりいくのです。たぶん「大事な事は?」と自分に問いかけるほんの僅かな時間を持てていたなら指を切らなかっただろうと思うのです。私にとって大事なことはまず心と身体の真ん中が今とあっていることです。そもそも、私にはそんなに大きい大事はめったにないし、私の本当に大事なものは言葉にならないものです。大事というよりも大切というべきものはもう今持っているものです。大事なもの、大切なものは増えたり、減ったり、形を変えたり、形がなかったり、ともかく時とともに詰み重なって私の側にあり、そのおかげで今の自分が少し理解出来ます。
 
 わざわざ「大事」と「大切」、言葉の意味を考えて使い分けることもなかったのですが、私はめったと「大切」という言葉を使ってこなかった理由を、「大事」と「大切」の意味を考えてみてなんとなくその理由が分かったのでした。

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  2つ書いた文章が無くなって、結局つらつらつらとやり直して、全然違う1つになりました。折々にふいと浮かぶイメージや閃きもその時毎に何かの形にして残さないといつも形には残りません。当たり前にあると思っているものは刹那に形を変えたり、無くしたりするものです。秋はますます深くなり、赤く、黄色く景色は変わっていきます。何事も後回しにせず大事にしたい秋です。
 
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# by kunie_foil | 2010-10-02 13:08
2010年 08月 24日

そうなのよ

八月はなんだか出頭の多い月でした。

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 出頭というのは警察や役所へ出むく時だけに使う言葉だと思っていました。山内のお寺の和尚さん方が早朝行われる定例のお寺の行事に出向くことが「出頭する」と呼ばれることはここに嫁いで来てから知りました。私が出頭する訳ではないので、私にとって出頭の日は今のところ、いつもより早く起きてお寺で留守番するという意味です。今朝は「大覚忌」で出頭して行かれましたので、私は留守番をしていました。

 1年で嫁ぎ先のお寺のことには少し詳しくなりましたが、台所の何がどこにあるかに一番詳しくなっただけです。お寺の奥さんは寺庭婦人と呼ばれますが、今のところは寺の庭よりもただ寺の一部をうろうろする者で、奥に居るものです。お坊さん社会はいい意味でも悪い意味でもつくづく男社会だなぁと思います。お坊さんという人は見慣れましたが、お坊さんという存在が近過ぎて遠ざかっている気もします。

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 八月はあの世が一番近づく月な気がします。

 お盆は六道珍皇寺さんでの六道まいりでこの辺りは賑わいました。
 六道まいりとはお盆にご先祖を迎える行事です。六道珍皇寺さんへお詣りして、水塔婆に戒名を書いてもらって、高野槙の葉で清めて、迎え鐘をつくのです。六道珍皇寺さんの鐘は冥土にもその音が届くと伝えられており、あの世にいるご先祖さんへの「おかえりなさい」の合図です。

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 冥界の入り口、六道の辻、つまりあの世とこの世の境界と言われるところがほんとに近所にあります。すぐ近くの町内、轆轤町はその昔は髑髏がいっぱいの髑髏町だったとか、その昔に臨月も近いまま亡くなった女性が墓の下に埋められてから赤ちゃんを産んで、育てるために夜な夜な買い求めに行った飴と言われる「幽霊子育飴」を売ってる飴屋さんがあったり、この辺りはもともと京都でも屈指の魔界エリアです。六道の辻というのは地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天界の、どの世界に転生するか、死んでから最初に出会う曲がり角です。

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 魔界エリアとはいえ、毎日のように私が買い物に行く庶民なスーパーもあったり、みんな普通に暮らしています。その裏には京都の有名割烹が立ち並び、しょっちゅう人力車が駆け抜けます。本物の舞妓も芸妓も歩けば、偽物の変身舞妓もウロウロし、お坊さんも多いという、そういえば魔界っぽい気もしてくるこの不思議なご近所が私にとってはめっきりこの世です。

 幼い頃、人はみんないつか死ぬんだってことを想像しただけで、眠れなくなることが何度もあった気がします。何をきっかけなのかそんな夜は気がつけばなくなりました。一緒に暮らしていた祖母が亡くなってから、それまではよく分からず「まんまんちゃん」「ほとけさん」と呼んでいた仏壇に祖母の面影が加わって、あの世が急に仏壇と繋がった気がします。その後、祖父が亡くなり、父が亡くなり、仏壇は家族のような存在へとどんどん変わっていきました。手をあわせてはあれこれ報告する存在になっていました。

 嫁ぎ先にも仏壇が普通にあると思ってましたが、お寺の仏壇は、お寺の本尊と一体化していて立派過ぎるというか、仏壇感が1年経ってもいまいち盛り上がりません。ここで展覧会をして、ここで結婚式を挙げましたが、このままいくと末はここでお葬式を挙げるのかと思いつつ、ちっとも実感が沸いてきません。

 寺に嫁いだら、それは家族でなく寺族になり、家庭ではなく寺庭なのだと教わりましたが、お寺の仏壇は家の繋がりよりもここのお寺の繋がりで、私は今お寺の繋がりの中に居る寺族に所属しているんだなということを嫁いでから1年したこの夏のお盆で実感しました。お寺のこと知らぬが仏では暮らしていけないなと背筋が伸びたお盆でした。対して、絶えず身近だった実家の仏壇を遠く感じました。だから、実家の仏壇にも改まって大事に手を合わせたお盆でした。

「悪いことしたり、ウソをつくと閻魔さんに舌を抜かれるぞ」といって、よく怒られたものですが、この頃の子もそうやって怒られてるのでしょうか。私がなんだか分からないけれどえらいこわい存在やと幼心に植え付けられた閻魔さんは大人になっても心に生きている気がします。鬼ごっこ、高鬼、色鬼、凍り鬼と遊びの中で年中身近だった鬼もいつ頃からか節分に意識するぐらいの存在ではあるけれど、閻魔さんにしても鬼にしても恐ろしい反面、頼りにしてしまう神様みたいな、宗教的な神様ではなくて、心の中で個人的に大事にしてる畏怖の念を抱く存在です。

 私はこの世にいて、見えないけれど大事にしているものがたくさんあります。見えてたのに見えなくなったものもあるし、見えないから怖い物がたくさんあります。毎日はあの世よりもこの世と今日で精一杯で、パリに行っていたなんてまるで夢のように夏は過ぎて行きました。お盆もあっという間に過ぎて、五山の送り火を見てご先祖を見送ったら、地蔵盆があって、あっという間に夏が走っていきます。

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 お寺に暮らせば、「お化けや幽霊の一つも見ただろう」とか、「夜こわくないか?」と聞かれることもあるけれど、まだお化けは見たこともないし、夜も普通によく寝ています。蚊が多いことの方が毎日困っています。「お寺にいたら、いろんな刺激でいい絵が描けるだろう」ともよく言われますが、今のところは刺激ばかりであまり描けてません。

 あの世は昨日で明日みたいなもんです。この世は今日にしかないのです。
 さて、そうなんです、もうちょっとしっかりしなくちゃ。
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# by kunie_foil | 2010-08-24 21:38