ピカソの庭

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2010年 07月 31日

やっパリ その2

 パリの街に生まれ育っていたならば、もっともっと毎日夢中で絵を描いたような気がしますが、やっぱり今からパリで暮らすことはないです。
 どこに暮らすかなんてことにこだわってはないけれど、いつだって京都で暮らしている自分としてしか他の街を踏めてないことに気付きます。不思議と何も変わらない自分の感覚を大事にしてしまいます。 

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 ぼちぼちの旅ではあったものの、炎天下、モンマルトルをベースにパリを歩きに歩いたような気がしますが、思ったより歩きでは遠くに行けず、思った以上に石畳はただただ足にこたえました。混雑していたり、足が疲れたりで、有名な観光名所はほとんど外観しか見ませんでした。

 治安が悪いと聞いていたものの、そう言う意味で怖い目には一度もあわなくてすみました。メトロに乗った際、前に乗っていた人が不潔な人だったのか、動物を連れてたのか、どうやら私は椅子に残された蚤に咬まれ、その後メトロがこわくてしょうがなかったくらいです。
 
 カンカン照りの太陽の下で女性達は華やかな色、涼しげな真夏の装いで、それは日本より気持ちのいい光景でした。太陽の下には朝から晩まであっちにもこっちにもおしゃべりな人々があふれていました。目の前の飲み物は空っぽだったり、熱いコーヒーだったり、ワインだったりしていましたが、重要なのはどうやら目の前の飲み物より会話のようでした。どこに行ってもほんとに冷えた飲み物に出会えずでした。夏には氷が入っている冷たい飲み物だとか、よく冷えたビールだとかが飲めて、夏には夏らしい何かがどこでも食べれるなんていうのは日本だからなんだと思いました。

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 子供が小さくてもバギーを押しておしゃれな服装で元気に歩く女性の姿や、物心ついた子供がベビーシッターらしき人に連れられている姿を朝から晩までたくさん見ました。出生率が上がっているらしいフランスはなんだか子育ても陽気に見受けました。

 野菜よりバケットを手に持つ人を見ました。なんと○○円、○○産、今なら○○、テレビでも紹介、大好評、売れ筋・・・といった売り文句はどこのお店でも見ませんでした。安いよ、いらっしゃいといった呼び込みもちっとも聞きませんでした。すごく親切なサービスも、おせっかいなサービスもアピールもありませんでした。その分、どんなお店も淡々となんだか上品で、フランスっぽく絵になるおしゃれ感があったけど、熱心なお商売感はどこも薄かったです。そもそもより安い野菜、食材を探し求める熱いお客さんが見当たりませんでした。おしゃべりな人はたくさんいたけれど、スーパーで話し込むようなご近所主婦感あふれる女性はそういえば見ませんでした。

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 飼い犬も飼い猫も大事にされていました。物乞いでも犬を飼っていました。ホテルのサロンでお金持ちに連れられた犬は飼い主と同じようにお水を出されてもてなされていました。野良犬と野良猫は見かけませんでした。鳩はいても、カラスも見かけませんでした。蚊はいなかったけど、蝿はけっこういました。雀は外国人の顔をしていました。街路樹にはプラタナスの木をたくさん見かけましたが、生き物や植物もなんだかフランスでした。立ち葵の花や紫陽花が咲き、夏は京都より少し遅れている感じでした。

 多種多様な物乞いがいました。メトロに乗っていて突然演説をはじめる物乞い、片腕のない妊婦の物乞い、スタバの横で貯まったお金で冷たい飲み物を買う物乞い、あっちにもこっちにも貧しさを公共に向かって主張する人を見ました。楽器を演奏してお金をもらっている人も、日本の暢気なストリートミュージシャンとは違いました。どう考えても日本ではめったに出会えない悪い空気の出ている人もたくさん見ました。どう考えてもお金持ちにしか見えない人も少し見ました。貧富の差があって、いろんな民族がいることが目の前に広がっていました。
 
 わたしはどこまでいってもアジアの外国人旅行者としてフランスにいました。ホテルで空港までの送迎タクシーを手配してもらったら、右のサイドミラーが壊れていたりするタクシーじゃないボロ車で黒人のおじさんが迎えに来てくれて、ちょっと不安でしたが、普通に親切に格安で無事到着したのでなによりでした。

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 フランスは快適より快活があふれていました。日本人なら不便や不自由や不親切と感じることはフランスでは最初からかなり寛容に受け入れられているからこそ、フランスらしい歴史と伝統が自由な暮らしのそばに並列に存在できるように見えました。地震に備える島国日本は世界のあちこちから学んでは工夫を重ね生活を快適にしてきたから、日本は日本らしさ自体を不安定にしているなとも思いました。

 パリで日々を重ねる友達は久しぶりに話せば話すほど、すっかりパリに暮らす人らしくなり、日本や京都への愛着がより強くなって、変わっていっているけれど相変わらずだなと感じました。だから、これからも相変わらずきっと友達です。

 簡単にいろんな国を行き来する人や物や情報が増えれば増えるほど、外国はほんとの外国ではなくなり、絶えず外国でもあるのだなと思います。それぞれ人がそれぞれの感覚という世界を持つ限り、いつだって人はどんな世界においても境界に立っていて面白くて、世界の違和感であり、結局どこにいても同じだなとも思うのです。

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 そして、お寺に嫁いだ今、どこで暮らすかなんて考えは基本的に間違っていることに気付きましたが、「私はここで暮らすしかない。」などと思わずに、ここで暮らせていることがありがたいです。

 私は明日いい絵が描けますようにということよりも、まず明日もごはんが美味しく食べれる1日であるようにと思います。
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by kunie_foil | 2010-07-31 22:35
2010年 07月 19日

いざパリ その1

 どこで生まれて、どこで育って、何を見て、何を食べて、何と出会ってきたのか、それが今日までの私を作っています。島国の先進国、盆地の京都で育ちました。そして、どこで暮らし、何を見て、何を食べて、どこへ行くのかやろうと思えば何でも出来る時代に大人になっています。

 海外を渡り歩く人の話を聞くのは好きで、その度いろんな国に興味を持ち、いろんな国に思いを馳せてきましたが、ほんとうに外に飛び出したのは仕事も兼ねた韓国へと数回渡っただけです。友達がパリにお店を出したのをきっかけに1度だけ突然一人旅で行ってみようと思ったことがありましたが、その時には実際行きませんでした。パリに憧れたり、パリ好きのフランス贔屓、フランス通の人はけっこう多いし、雑誌なんかのフランスはだいたい興味深く、美味しそうなのでした。そして、なんだかんだとフランス料理は時々いただくことはあっても、美味しくても毎日は食べられへん料理だなぁといつも思うのでした。

 「よし、パリに行くぞ。」と主人が言い出した時は冗談かと思っていたのですが、旅立つ1週間ほど前に航空券を手配したら、ああほんとにパリに行くんだなと思いました。ホテルは高級ではないけれどそんなに評判も悪くなさそうで、友達が住んでいるところに近くて、景色が良さそうだとなんとなく私が選んだホテルになりました。空港からホテルまでの乗り合いタクシーも手配しました。友達のお店にも予約をお願いしました。あとは地球の歩き方を買いました。それだけをなんとか手配して、すごく行きたかった訳でもなく、なんだかふわっとパリに行ってきました。

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 いろいろあってほぼ徹夜で乗り込んだ飛行機は食べているとき以外ほとんど寝ているうちにフランスにつきました。他に2組の日本人旅行者と一緒にホテルに空調がちっとも効かないワゴン車で送ってもらいました。送ってもらううちに、フランスの交通事情がなんとなくわかってきて、有名な観光名所をいくつも通り過ぎホテルにつくまでだけですっかりフランス観光した気分でした。他の2組はオペラ地区という中心地区、私達のホテルはモンマルトルの坂の上。フランス語で何を言ってるかはっきりはわからないけど、どうもモンマルトルなんて不便なところになんで泊まるのか、しかも、そんなホテルにははじめて行く、一方通行に坂道、細い道ばっかりでほんとに車が走りにくいんだと言っているようでした。ムーランルージュまではスムーズに行きましたが、その後はぐるぐると迷いながらなんとかホテルの近くの裏道にたどり着いた頃にはすっかり車酔いでした。
 モンマルトル辺りは街中とはまったく雰囲気が違い、大通りの雰囲気はセックスショップなどが立ち並ぶ歓楽街で、そこから坂道を上に向けて入ると小さな店やカフェやレストラン、雑貨屋さん、ちいさいホテルなんかがあって、人々の暮らしがある下町の空気でした。友達のお店もそんな中にありました。そこから宿泊したホテルまでは偶然にもたった3分の坂の上のところでした。偶然、ピカソや多くの貧乏画家が制作現場にして暮らしたという洗濯船と呼ばれたマンションの跡地がすぐ横にあって、泊まった3階はピカソと名付けられていました。なんだかうれしいことでした。
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 ホテルと洗濯船の前は栗の木が茂っている小さな広場があって、ベンチがあって、真夜中から早朝まで以外は一日中、何か音楽を演奏する人が入れ替わり立ち替わりでやって来たり、広場の前のカフェが朝から晩まで賑わっていて、住民と観光客どちらもにとっての憩いの広場になっており、ホテルの部屋にいてもどこかから音楽が聞こえどこかから人の語らう声がしました。日本なら、京都ならありえない音がじっと部屋にいてもフランスにいることを教えてくれました。坂の上にあるおかげで、窓からの景色もどこまでもフランスでした。

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 21時を過ぎないと日が暮れないというのがさっぱり理解出来ない感覚でした。時差調整をしないままの携帯を持ち歩いていたら、いよいよ訳の分からないことでした。パリに行って気付いたのですが、私の携帯は海外の電話を受けられてもこちらからかけられられない電話でした。パソコンも携帯も時計もない生活は日本では考えられませんが、その極端さをまた楽しく感じていました。フランス語もろくに出来ないままでしたが、少しの挨拶などを憶えて、後は適当に英語でなんとかなるはずだと押し切りました。電子辞書も一応持っていたのにさっぱり使いませんでした。買い物する度、気に入ったところでは、日本から持っていっていた自分の絵はがきと一緒にお金を払ってきました。そうするとなんだかまともな会話にはならないけど、なんとか私の絵なんだよと伝えると、なんかお礼にサービスもしてもらったりすることもあったりして、なんだか会話した感じで店を出るのでした。パリの旅の足跡のように絵はがきが残るっておもしろいなと思って、事前に企んでいたのです。知らない人ばかりで、言葉も全然違う外国だからなんだかそんなことをしたくなったのです。

絵を描いててよかったなと思いました。
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by kunie_foil | 2010-07-19 14:36
2010年 07月 01日

ピピカソ

 ピカソは死んでしまいました。とうの昔に死んでしまった画家、パブロ・ピカソのピカソではなくて、今年のはじめまで3年と9ヶ月、この禅居庵に暮らしていた猫の名前です。

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 2006年のお釈迦様の誕生日、禅居庵の天井裏がどうも騒がしいので覗いてみたら、まだ目も見えないちいさいちいさい子猫がコロリと落ちてきて、それがピカソとの出会いだったそうです。ピカソはその日からお寺暮らしをスタートしました。母猫がいないので、最初こそ人間に大事に大事に育てられたピカソでしたが、すくすく育つにつれ、お寺の中も外も駆け巡り、庭の木には駆け上り、野鳥を狩ったり、野良猫の友達とも遊んだり、10ヶ月の時には5匹も子供を産んだり、ともかく恵まれた環境での飼い猫として、いつもお寺の人気者として暮らしました。

 わたしがピカソにちゃんと出会ったのはECHOという本を出した頃、禅居庵で個展をした2008年の春でした。普通の環境とはまるで違うお寺というところ、しかも、地元の京都の真ん中、何年かぶりの京都での個展ということで、その展示には悩みました。数回下見に行った時にも、実際展示が始まった時にも、ピカソはふいと現れてはふいとどこかにいなくなりました。いざ展示が始まって、ほっとした私はすっかり体調を崩しながら会場に足を運んでいたのですが、展示会場を颯爽と自由に見回りにやってくるピカソを見て、「さすが寺生まれ寺育ちの猫」と思ったものでした。

 お寺での個展は本当に特殊でした。一日の時の流れ、季節の移り変わりで、光や風などで絶えず空間が変化し、ギャラリーなんかとは違ってどこもまっすぐではないけれど、全てがまっすぐここに建っていたという存在感に完全に包まれていて、それを庭と東山の借景が囲んでいて、街中の騒々しさとはしっかり切り離されて不自然ながら自然に整えられている場所なので、どんな絵だってお寺の一部になってしまうのです。絵を目的に来てくれても庭やお寺に癒されたという感想の人がかなりいましたし、来るごとになんだか印象が違うからと何度も来てくれる人もいました。親戚のおじさん、おばさん、近所の人、親戚の親子といったいつもなら展示をしたってなかなか足を運んでくれない人たちが幅広く次々来てくれました。裏方で支えてくれるばかりだった母が一人だったり友達連れだったり、ほとんど毎日楽しそうに足を運んでくれたのは本当にうれしいことでした。そして、訪れる誰もがお寺というところに少し心を配って姿勢を正してくれるためなのか、むやみに騒々しくなったり、誰かが何かに傷をつけたりすることなんかもなかったです。お寺は日常より少し特別だけど、靴を脱いで上がる時点から、日常の外よりも少し人の心を緩ませる、不思議な展示会場でした。京都に生まれ育ち、京都でイラストレーターという仕事してきて、それまでいろいろ展示をしてきた中で日常と仕事の境目を埋めるような時間を過ごせたのは初めてのことでした。

 その1年後、2009年6月5日「お寺で暮らすってどんな感じなん?」、「お坊さんてどんな毎日なん?」、「掃除ってほんま大変そうやなぁ。」などと言っていた私でしたが、何かの因縁に導かれ、禅居庵の副住職、ピカソの母親?父親?と入籍いたしまして、突然寺暮らしをはじめました。実家から自転車で10分とはいえ、典型的京都の鰻の寝床とは大違いの別世界ですが、普通の結婚で、普通の入籍でした。意外と普通に暮らしています。

 ピカソは寺暮らしの先輩で、達人でした。飼い猫感のない飼い猫でした。私との共通点は性別が女のところと、主人が副住職なところと、猫背なところでした。もっとずっと一緒にいれると思いましたが、今年の1月、お寺のお祭りが終わった後、突然、病気で死んでしまいました。野良猫の平均寿命と同じくらいの寿命でしたが、どこかでそっと死んでしまうといわれる野良猫と違って、主人の腕の中に抱かれて死にました。私が一緒に過ごした時間なんてほんの僅かでしたが、いつ見てもピカソは自分らしく縦横無尽にお寺で暮らしていました。

 お寺にお嫁に来たものの、相変わらずイラストレーターもしております。なんだかいろいろ変化もあったものの、ちょっと入籍したからといって私自身の中身には大きな変化はありません。基本的に相変わらず猫背にドタバタ暮らしています。

 ピカソのように私も全力で寺暮らしを駆け抜けていけたらいいなと思います。寺庭婦人にはなったものの、画家のピカソのようにずっと絵を描いていけたらいいなと思います。そんな日々を綴れますようにと、思っています。

 そして、7月1日。今日、私はちょっとパリに行ってきます。偶然にも、猫じゃない方のピカソの庭までちょっと出張してきます。
 まだ荷物の準備がひとつもできていません。出発は5時です。あと3時間半。
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by kunie_foil | 2010-07-01 01:31