ピカソの庭

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2011年 03月 27日

月参り

 春分の日も過ぎたというのに、まだ雪が降ったり、変なお天気が続いています。今日は父の月参りの日ですから、たぶん実家には朝、お坊さんがお参りに来られてたんだろうなぁと、月参りに来られるという事は家がきれいに掃除されてるんだろなと、カレンダーを見上げました。


 5日前、春分の日は隣のお寺へ彼岸会のお手伝いに行っていました。彼岸は向こう岸であの世。昼と夜の長さが同じ春の分け目、春分の日を挟んだ7日間が彼岸の入りです。昨年はもう少し暖かかった気がします。牡丹の時期だからぼたもちなのに、牡丹はまだちっとも咲いていませんでした。春分の日からまた日が経ちつつありますが、昨日は雪が降ってると思ったら、日が差して、日が差したかと思ったら、曇って、せわしのない変な天気で、今日もまだ寒く、桜も今年は少し遅そうです。
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 お彼岸は東北関東大震災があってからちょうど10日のことでした。各家々の先祖代々に手を合わす方達でたくさんに賑わいました。わたしはまだお手伝いに入って2年目のお彼岸ですから、その昔の事はよくわかりませんが、いつもと少し違うようで、ほとんどいつもの春の彼岸会が執り行われたのだと思います。それでも檀家さんの方々も年を重ねられて、「もうだんだん足があかん。」と言われる方が多くて、秋の彼岸会はもっと椅子が必要だと思いました。

 2005年の9月11日、秋の入り口にアメリカ同時多発テロがあった時、ああもう私みたいな仕事はおしまいだなと思っていたけど、その後、ニュースだけはしばらく非日常だったけれど、あまりに普通の日常が訪れて、あまりに相変わらず締め切りが来たことに驚いたことをいつも思い出します。動揺しながらの日常の中でもっと出来る事があるのではということばかり考えていましたが、それでも絵を描く事があなたの出来る事ですとメールをいただき、そうかと目が覚めた感じを先日の東北間東大地震で思い出しました。

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 3月11日、14時46分、東北関東大震災発生時、京都で私が感じたのはなんだか揺れたような気がする、それとも私の目眩?というような程度でした。ネットで見てみたら、東北で大きな地震があったというから、慌ててテレビをつけ、ああ大変な事になったと実感しました。地震、津波、原発、あの日起こった事は少しずつ明らかになっているけれど、まだ分からない事、起き続けている事があまりにたくさんです。

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 3月12日、それは私の誕生日でした。そもそも、もうお誕生日がおめでたいものではない歳にはなりましたが、誕生日どころではない誕生日ははじめてでした。ニュースばっかり見ていました。「出かけようと思っていましたが、このような時ですから遠くなどには行かず過ごしましょう。」と、夕方、主人がわが家の緊急記者会見と称した発表がされまして、ともかく普段のように過ごしました。しかし、翌13日は「予約しているごはんやさんに行きますよ。」と主人が言い出し、「そんなのいらないよ。」と言いながら向かった先はなんと私の実家でした。クラッカーで迎えられ、食卓には懐かしい幼い頃から食べてきたおかずがたくさん並んでいて、これまでで一番複雑で、一番ありがたく感じたお誕生日でした。

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 関西での大きな地震といったら、1995年1月17日5時46分の阪神大震災でした。あまりの大きな地震に飛び起きて、よく知る神戸の風景の一変に驚きました。京都もけっこう揺れたものの、大きな被害はあまりありませんでした。東北関東大震災以来、震災にもあわれた経験のある神戸の大きな会社の方とこのあいだお会いしました。「あまりに関西は普通でびっくりしますね。」と私が言うと、「そうですね、阪神大震災とはまるきり逆なんですね。あの時、関東はこうだったのでしょうね。出来る事はせねばなりませんが、日常も維持せねばなりません。」と、あまりに元気に仰って、こういう人が関西の日常を支えているんだなと実感しました。

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 電池、懐中電灯に続きまして、東京に水を送るという人が、京都でもあちこち水を買い貯め、ここ数日で水はほとんど売り切れ状態です。そんな中、福島といってもそんなに被害も大きくなくて、原発から100km離れているところで暮らしている友人は、普通に水道水を使って暮らしている自分が不思議だと言っていました。唯一の被爆国である日本に暮らしながらあまりにも原子力の事に無知だった自分を恥ずかしく思うし、東京に暮らす人たちの不安も、福島に暮らす友人が続けている日常も、どちらも理解出来るように思います。  

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 亡くなった人の新しい誕生日、つまり、亡くなった人があの世に生まれた日、それが命日であり第二の誕生日になるのですという話を聞いたのは父が亡くなった時のことでした。毎月、父の命日ごとに月参りにお坊さんが月参りに来てくださり、それが続いていくごとに、確かにその日は父の事を必ず考える日になりました。長い間、闘病していた父が死ぬ日を想像したこと、夢に見た事は父が生きている間何度もあったけれど、本当に死ぬというのはあまりに呆気なく、あまりにあっという間でした。そして、本当に亡くなってからは、確かに形を変えて父は強く生きている気がします。月命日である今日も亡くなったということ、死ということでなく、漠然と父を思い出しました。

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 あの世があるのかどうか私には分かりません。死んだら極楽浄土に行きたいとも思っていません。でも、いつも見えないもの、分からないもの、この手の中にある未来にとびきり畏怖を感じるし、とびきり憧れるから、この手が間違えないように時々目をつむって手を合わせたいし、大事な人と手をつないでいたいし、できることをなんでもしながら、私は絵を描いていきたいと思います。

 今回の東北関東大震災で失われたたくさんの命に思いを馳せ、被災された人々の平穏な日常を願いながら、これからの誕生日を大事に迎えれるように、精一杯生きねばと思います。


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 被災者のみなさんがどうぞ一日でもはやく、新しい穏やかな日常を送れるようになりますように。
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by kunie_foil | 2011-03-27 15:40